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賛同してくださった方々からのメッセージ

最終更新: 2019年12月2日




現在の私たちだけで判断をしないこと。過去の先人たちの声を呼び起こし、未来の人たちの声を想像しながらいま最善の方法を考えること。新しいものを作るよりも古いものを守ることのほうが、時を超え、多くの人たちに感謝されるだろう。

微力ながら、伝統的建造物の多い伊根より応援しています。

そこに住むすべての人にとっての未来につながる対話が起きることを望みます。

市がこの問題にちゃんと向き合ってくれて皆が納得がいく結果になるよう、できる事があればぜひ協力させて下さい。

政治力とは?

先日釜石に行く途中に偶然SL銀河と並走し、遠野まで追っかけたところ、駅にSL銀河がつくところでした。(また、駅前の通りで駅舎に向けてお祭りのパレードが行われていて印象的でした。)とてもSL銀河が似合う駅舎であると感じました。駅前の観光案内所も、駅舎に合わせて作られているような意匠設計なのではないでしょうか。建築系ではなく、ただの観光科学の学生なのであまりお力になることはできないかもしれませんが、なんとかしたいです!

今の駅舎はふうけいにとてもとけこんでいて素敵です。 老朽化したものを壊すのではなく、ヨーロッパのように古き良きものを大切に使いながら残すことができたら、ものを大切にする良いお手本になると思います。 岩手のほぼ中央に位置する遠野から素敵なことが発信できますように!

古いものを壊して新しいものを作るというのは、これから人口減少が規定路線の日本では、ベストな考えだとは思えません。もとからあるものをいかに残していくか。それは文化の衰退ではなく、文化を育むものだと私は思います。

私も賛同します。

先日、遠野駅から電車に乗りました。温かみのある素敵な駅で、人が集う場所として、とてもしっくりきました。遠野の財産だと思います。みんなの力を合わせて、駅舎を残したいと思います。

古いものには味があります。 是非、遠野の象徴して残して欲しい建物です。

理性的な提言に共感します。駅舎は美しく、伝え続けていくべき価値のあるものと思います。昨今は、ゴリ押しして進める公共事業に対する市民の目も厳しくなってきています。そういった視線で、JRや市に対してのチェックも一度は必要かもしれません。賛同人の端っこに加えさせてください。

退職後、友だちと一緒に遠野に行くことを楽しみにしています。駅舎は町のシンボルそして日本の文化を伝える遺産です!ぜひ残してください。

土砂降りの夜と早朝の遠野駅、どちらも素朴で風格があって、懐かしい匂いがしました。 近所の古くて趣のある駅舎がレプリカのようなもの、何処にでもあるような駅になってしまい、寂しい気持ちになりました。 なので、遠野駅は100年をぜひ迎えて欲しいと思います。

遠野にご縁があり、時々訪れている者です。 遠野駅のもつ、品のある様子は、なかなか出会うことができない貴重なものであると感じています。 地域の皆さんが利用しやすいように、必要な部分は手を加えつつ、遠野のもつ空気や魅力を、列車から降り立った人に、いちばん早く伝えてくれる、あのクリームがかった石の駅舎の雰囲気が上手く残せたら、街の魅力をよりアピールできるのではと、ひとりの遠野ファンとして思う次第です。

遠野を見守ってきたシンボル、残して欲しいです! 遠野は2度訪れましたが、何やら奥深く、興味深く、次はいつ行こうかと今から楽しみです。

既得権益に立ち向かうには並大抵のことではないと思いますが、あきらめないという姿を子どもたちも見ていると思います。

同じ思いで遠野をみつめ、未来を描き、自分らしく生きてゆこうとしている方々がいらっしゃることに共感と勇気をいただきました。遠野を大切におもう仲間として繋がりたい。

残念ながら遠野駅は行ったことがありませんが、サイトを見て将来行ってみたくなりましたので、ぜひ後世に残してください。

田瀬さん、宮田さんや地元の方々の遠野に対する敬意に感銘を受けています。今回の動きが、遠野の地が醸し出す自然とマッチして、景観、風景、風土に繋がることを願っております。

大学に合格した年の夏だったと思う。一緒に芸大受験の予備校に通った友人と岩手県一周の旅をした。一関から入って、花巻、遠野、リアス式海岸から八戸に抜け、また一関に戻るルート。なかでも遠野は、柳田國男の『遠野物語』は読んでいたし、楽しみでもあり思い出にもなった場所だ。


泊りはユースホステルだったと思う。そこから、南部曲り家の民家を見に行った。そこへの途中か分からないが道に迷っていた。茅葺屋根に草が生えた民家が雑草だらけの中にポツンとあった。疲れていたので、無人で捨てられた家なのかと草をかき分け近づき、中に入ってみた。土間の隅に腰かけると、ふすまのような扉に、家系図が墨字で大きく書いてある。何々? と友人と声に出して読んでいると、「牛の(家系図)だ」と中からおばあさんが出てきた。友人と同時に、うわ、びっくりした。と声に出た。いまはひとりで住んでいるのだという。しばらく話したが、その光景をおとぎ話の一部のように思い出す。


遠野駅は日本にとってとても貴重な場所だ。ただ新しくするだけでは伝わらなくなってしまうものがあると思う。その場所の遺構でもある遠野駅を可能な限り保存してほしい。

その土地にしかないもの、一度失われると二度と取り戻せないものを守ることが大切だと感じます。放っておくと世界は均質化して、訪れる魅力のない場所ばかりになってしまいます。「遠野」が他のどこでもない魅力を保ち続けるためにも、駅舎の保存・活用を求めるプロジェクトに賛同します。

学生時代、東京から何度も遠野に通い多くの時間を過ごしました。外様ですが駅舎だけでなく遠野の街・建物・暮らす人々、全てに思い入れを感じています。できる事があれば、協力させてください。

震災ボランティアでたびたび岩手を訪れています。何もないところから再建する土地に向かう途中で寄った遠野駅は、残るものを守る大切さを教えてくれた場所でした。

壊さないですむものを、いかに守るかは、私たち地球に住むもの全てが負うべき責任だと思います。

価値ある取り組みが益々広がることを願って、賛同させていただきます。

遠野にとってだけでなく、岩手県、日本の貴重な風景を織り成すかけがえのない駅舎です

早池峰山に登った帰りは、遠野の民宿に泊まるのが定番です。 遠野の風景には癒しがあります。民話の趣の残された自然や町並みは、他エリアではなかなか見ることのできない貴重なもので、一度失えば取り戻せないものなのに、そのシンボルとも言える駅舎が壊されてしまう計画があるということに深く悲しみを感じました。

保存を願う者としての意思表示として、署名をいたしました。今一度、その声が行政・JR等の皆さまにも届きますように。

今年の2月に初めて遠野を訪ねました。遠野にしかないどぶろくを求めて行きましたが、駅舎もまたここにしかないものです。どこに行っても同じような駅があって何がいいのですか! ぜひ残してください。

遠野に帰ってきたと感じるあの建物をなくさないで欲しいと思います。

応援しています!

高校時代は列車(当時は汽車と呼んでいました)通学でした。毎日通った思い出の一部です。

今後100年も人々が訪れ、デキゴトを共有し続けられる駅舎のために何ができるのか、賛成反対両方のみなさんで考える場はとても大切だと思いました。応援しています。

心から賛同します! 壊してしまったら二度と戻りません。新しいものは古くなりますが、古いものは古くなりません。地域文化遺産を守りましょう!

駅は町の顔、とても大切な存在だと思います。 時が降り積もった存在感は、新しくつくることはできません。 耐震補強をするなどして、今の駅舎のまま残す道を見出していただきたいです。

東日本大震災で岩手県の沿岸地域ではたくさんの歴史的建造物や風景が失われました。改めて思うのは、そうしたものの中に人々の思い出が残り、一人一人の人格の一部になってきたということ。そんな貴重な宝物をむざむざ壊してしまうなんて、勿体なさすぎます。むしろ、昭和初期の代表的な建築として大切に後世へと継承すべきと考えます。

遠野駅舎が70歳と初めて知りました。遠野市民の父親とほぼ同年です。父も遠野駅舎と共に育ったのかと思いを馳せました。私は現在遠野市民ではありませんが、遠野の実家に帰るときの玄関口である淡い色をしたブロック造の駅舎にはいつも安心感を覚えていました。未来のため、地域のため、保存されていってほしいです。 大切な運動の立ち上げありがとうございます。賛同、応援します。

心から応援しています!

遠野駅の解体絶対阻止して下さい! 遠野駅の美しさは規模こそ違いますが、東京駅、門司駅等に匹敵する素晴らしい建築物だと思います。古き良きものをリノベーションで保存する流れが広まりつつある中、安全面・費用面を錦の旗に掲げ古い物は壊し新しい物へという旧態依然の解体推進派の美的感覚の無さと安易な考え方に遠野の未来を任せる訳には行きません。遠野駅ファンは全国にいっぱいいると思うので色々な方法を駆使してもっともっと発信してはいかがでしょうか? 遠野駅隠れファンはいっぱいいると思います。保存には多くの方の力が必要です。

以前遠野駅でSLが停車しているところに遭遇したことがあります。 素晴らしい風景でした。 駅舎が変わってしまったとき、あのように感じられるか そのことを一度考えるみてもいいのかもしれません。

時間が経つと価値が生まれるものを大事にしたい。

盛岡市民ですが、遠野が好きでよく通っています。遠野には次世代に残したい知恵と文化があります。どことも同じではない、遠野にしかない味わいが残って欲しいです。

SL銀河に乗車し、この駅に降り立ちました。雰囲気のある思わずシャッターを押したくなるいい駅舎です。こんな駅舎は他にない。外観を保存し建物内部は近代的にするような駅舎に再生できないものか。お金はかかるかもしれなが遠野のシンボル、財産と思います。

高校生の時、駅の待合室で色んな悩みを話しながら汽車を待つ時間や、子供が生まれSLを見に行って、ホームではしゃいだ息子の思い出、苦しい時、ただ汽車の音が聞きたくて、ホームに腰掛け時間を過ごした事、駅員さんの声、汽車のブレーキ音。その音の中にある思い出。 それは、遠野駅にしか、ないのです。駅は、まさしく、ホームなんです。なくさないで下さい。

日本人は新しいものが好きである。

自分もその一人である。

しかし、これは全てに当てはまるわけではない。

遠野駅がその例外の1つである。

学生の時、初めて遠野を訪れた際、駅に着いたらしばらく周りをキョロキョロしてしまった。 これが、駅舎なのか? と思うほどとても厳かで幻想的な雰囲気であった。

駅周りの環境と駅の空間がうまく共存しており、長い年月が作り出した場所となっていた。 まだ駅に着いたばかりなのに、またここに来ようと思わせるほど魅力的な場所を作り出す遠野駅を取り壊して新しいものを作ってしまうと今の魅力的な場所は消えてしまう。

構造上の安全性で問題がなく、新築より低コストで保存・活用の可能性があるなら保存・活用の道を進むべきである。

本来は、再開発をする立場の人が誰よりも文化的価値を理解した上で慎重に計画していかなければならないのに、刻々と変化していく時代の中で、未だに更地に戻すような再開発を提案しているということがなにより残念である。

遠野駅が壊されてない今、50年100年先を見据えて、本当に新築にすべきなのか、保存・活用していくにはどうしていくべきか、もう一度考え直して欲しい。

自分は、これからも今の遠野駅が保存・活用され、遠野駅を中心に町が良い方向に変化して行くことを強く願う。

遠野ふうけい会議の主旨に賛同します。

学生時代、柳田国男の遠野物語を読み、あんべ光俊の遠野物語を聴き、はじめて遠野を訪ねたのは10年前。かっぱ淵には本当に河童がいるような不思議な気持ちに包まれたり、曲り家で南部訛りのおばあちゃんの話しを聞いた。遠野の歴史の深さと懐かしいような気持ちになる風景に感激した思い出。そんな遠野の顔である、駅舎を壊すと聞いた時は驚いた。なぜ唯一無二の歴史ある遠野の風景を壊すのか? 馬鹿げている。柳田国男先生が生きていらっしゃったら、真っ先に反対するだろう。遠野物語を読み、遠野を訪ねた方はたくさんいる。皆さん同じ思いでいるはずだ。あの思い出の駅舎は壊して欲しくない、と切に願います。

遠野駅までの道のりが楽しくて、ついつい長話して乗り過ごし、遠く離れた次の駅まで行ってしまったことが懐かしいです。「ただいま」ともう一度言いたいから、いまのままの遠野駅で待っていてほしいです。

生まれ育った町に当たり前のようにあった遠野駅です。私は進学で遠野を出ます。しかし、遠野駅から出ていくならば、帰ってくるのも同じ遠野駅であって欲しいです。また、遠野駅のようにその土地にしかない独自の建物というのは、それだけで魅力だと思っています。今現在の駅構内の利用状況はよく分かりませんし、改善が必要な面も勿論あるとは思いますが、是非解体は避けたいです。何か私に出来ることがあれば参加させて下さい。よろしくお願いします。ちなみに私が遠野駅で一番好きなのは、駅員さんが直接手で切符にハンコを押してくれるところです。私が現在知る限り遠野駅だけです。自動改札にこの暖かみは真似できませんね。

なにげない普通の景色や建物が十年、数十年と時を重ねるごとに、たくさんの人々の思い出と重なり、大きな価値を持ち始めます。 最初は単に必要に応じて建てられた施設も長い時間を経て文化財になるのです。遠野の駅もそうした将来歴史的文化財になっていく可能性を秘めた施設なんですよ。

約20年前、当時遠野に移住して自然農を営んでいた友人夫婦とのご縁で、遠野をはじめて訪れました。

東京からの似通った風景が続いていた東北本線から、花巻駅で釜石線に乗りかえて汽車に揺られていると、それまで見てきた風景とはまるで異なり、自然との共生を色濃く感じさせる人々の営みが車窓から感じられました。

あの時は12月だったように記憶していますが、真っ白く雪が降り積もり、太陽も雪で霞む勢いでした。

汽車が走れば走るだけからだ中の細胞がイキイキと活性化していくのを感じていました。

自然豊かな風景のなかを約1時間釜石線が走った先に、遠野の街がありました。

そしてそこでわたしをはじめに受け入れてくれたのが、遠野駅舎でした。

雪景色のなかに黒く品のよいつくりの駅舎があり、当時はホテルとしても使われていて、東京駅のステーションホテルで結婚式を挙げた父と母のことを一瞬想いました。

わたしが遠野に来たのは、母から離れたかったからという理由があります。

そんなわたしをふわっと迎えてくれた遠野駅舎。 駅舎を出て、友人が運転するバンに乗って太陽を見上げると、その瞬間に雪の振り方が変化したのか太陽が顔を出してくださったように見え、あ、わたしはこの土地に受け入れられたのだと疑わなかったのです。

生まれてはじめて感じるその感覚にじぶんでも驚きながら、それがあったからこそわたしはいまも遠野に居ます。

あのときそんなことを感じているわたしを見守っていたのは、駅舎だけだったのではないかな、といまあらためてその紳士的で誠実なあたたかさを感じさせる駅舎をおもうのです。

Copyright @ 遠野ふうけい会議