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遠野駅舎についてあれこれ考えた一ヶ月の記録(あるいは加藤と米山の『新・遠野物語』への返信) /佐々木 大輔



まずはじめに開示しておくと、このエッセイのようなものは安宅研太郎さんに「遠野駅について、遠野出身者の視点でなにか書いてみませんか」と言われたことがきっかけです。安宅さんというのは「遠野ふうけい会議」の共同代表で、私はその賛同人のひとり、という関係です。


私は、「遠野駅についてわざわざ人に伝えたいようなことってあったかな……」と思いながら、「やります」とも「やりません」とも返事を決めぬまま安宅さんにお返しのメールを書きだしてみたのですが、なんとそこに、遠野駅についていつの間にか熱く語りだしている自分を発見してしまいました。


実際、驚きました。


なぜなら、遠野のしかも遠野町あたりの出身者にとって、どこか遠くに出かけるといえば車か新幹線の新花巻駅が馴染みの手段であり、遠野駅はさして利用しないのが普通だからです。遠野駅をよく利用するのは宮守、小友、青笹、上郷あたりの出身者と決まっています。遠野高校か緑峰高校に通うためです。にもかかわらず遠野町出身の自分が遠野駅について語るというのは、それを知らぬものには当たり前のように響きながら、自分なりの強い思い入れがないとできないことではあるんです。


私は、柳田國男の『遠野物語』の霊力を頼りながら小説を出版したような人間なので、その作品には思い入れがあります。そのことから語ります。


『遠野物語』の刊行は1910年、いまから約110年前です。その翌年の1911年に岩手軽便鉄道の免許申請が出され、1913年に一部開通します。つまり柳田は、鉄道が敷設される直前に、鉄道に貫かれぬままにあった最後の遠野を見たことになります。その景色がどんなであったか、繰り返しません。それこそが『遠野物語』に書かれたことであり、いまは青空文庫で読めますのでリンクだけしておきます。(『遠野物語』柳田国男 青空文庫


その約20年後に折口信夫が遠野を訪れたときには「来るのが遅すぎた…」と嘆いたそうなので、鉄道が通った後わずかの間に相当の変化があったのだと想像されます。



左:柳田国男(1875年 - 1962年)/右:折口信夫(1887年 - 1953年)

このエピソードを思い出すとき、遠野駅というのは、『遠野物語』以前と以後をはっきりと切断するシンボルのように思えます。実際、そうなのでしょう。けれど、今ある遠野駅舎は、切断ではなく、架橋のシンボルになっています。過去に橋を架けるような存在です。その話を続けます。


折口信夫や桑原武夫が遠野を訪れたその後、加藤秀俊と米山俊直が遠野を訪れ、共著で『北上の文化―新・遠野物語』を著します。その刊行は1963年ですから、このときふたりが見たものが、まさに現在も建っている1950年造のあの駅舎に他なりません。


この本は、柳田が訪れた時代から遥か50年経った遠野駅前がとても栄えているという描写からはじまります。駅前の映画館では東京と変わらない最新作が上映され、喫茶店に入ればイブ・モンタンのレコードがかかっている……。柳田の『遠野物語』に古代のロマンを求めて訪れた研究者たちはそこで肩透かしをくらうわけですが、


「まてよ、これこそが、生きた遠野物語ではないか」


と思い至り、それをポジティブに受け止めるようになっていきます。変わらないものではなく、変わり続けるものをそのまま受け止める。それこそが遠野の物語なのだと、そうした受容の態度に変化してきます。


そう考えたときに、私はふと、遠野駅舎が解体されずに保存されることがよいことなのか、あるいは時代に流れによって否応なく建て替えられていくこともまたよいことなのか、しばしわからなくなってしまいました。

建て替えの件をすでに受け止めている同級生に「何年も経でば、見慣れっぺだら」と言われたのも原因です。それもまたリアリティなのかもしれないな……とも思いました。


しかし、あらためて『新・遠野物語』にあたってみると、それを著した加藤と米山は、意訳するとこのようなことを言っていました。


「繰り返し訪れることのできる場所があり、繰り返し訪れる人があり、繰り返し書き留められていることがある。それこそが遠野の価値である」


佐々木喜善と柳田國男の後、水野葉舟が、折口信夫が、桑原武夫が、加藤秀俊と米山俊直が、吉本隆明が、井上ひさしが、そして偉大な先人たちをおそれ多くも割愛させていただいて、今は京極夏彦らが、繰り返し繰り返し遠野を訪れそこで感じたことを書き残している。『遠野物語』はすでに柳田の手を離れ、普遍的な知財となろうとしている。変わっていくものと、変わらないもの。それらがフーガのように繰り返され、無限のバリエーションになっている。


加藤と米山によって記録された当時の最新の風俗は、それからさらに50年以上が経った今となっては古び、むしろ郷愁を誘うものとなって『遠野物語』の古色蒼然とした世界に溶け合おうとしているように私には思えます。今では映画館がない代わりにNetflixがあり、レコードの代わりにSpotifyがある。でも、だからこそ、遠野駅舎が1950年造の姿のまま残されることには、価値があるように思います。繰り返し訪れた人々が見た風景に、繰り返し訪れた人々さえも見たことがなかった風景。それらが混じり合うところに、新しい遠野の物語が生まれていきます。その価値を知るものは、そのことを主張しなければいけない。そう思うようになりました。


あの駅舎を見るとき、私は駅前の映画館やシャンソンを思い出します。そして同時に、それがまだ存在しなかった柳田が見た『遠野物語』も思い出します。さらに、高度なテクノロジーが世界を覆いつくすカームネット的な未来をも幻視します。それらをはすべて、風景のなかに変わらず存在する錨のような建造物があってのことです。


私はそういう理由から、遠野駅舎の建て替えに反対し、遠野ふうけい会議を支持します。


(noteよりご本人の許可を得て転載)



佐々木 大輔(ささき だいすけ)


1980年、遠野出身。インフォバーン、ライブドア、LINEを経て、現在はSmartNewsの執行役員とSekappyの顧問。CGMに取り憑かれた編集者・PM。読書が長年の習慣で、趣味は器集め。小説では『僕らのネクロマンシー』ほか。座右の銘は公私混“働”と"諸"志貫徹。

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