遠野ふうけい会議について
私たちは古い建物や文化が目の前でどんどん失われていくことに対して危機感を共有しています。古さは重ねた年輪であり、手渡された歴史。手放すと二度と手に入らない、オリジナルな美しさです。
今ある財産を活かして、「遠野らしさ」を継承していく新しい道を、粘り強く模索し、実践していきたいと考え、「遠野ふうけい会議」を立ち上げました。足りないところは専門家に学びながら、みんなで一緒に考えていきたいと思います。
街の顔、遠野駅をどうする?
遠野市は、「永遠の日本のふるさと遠野」を将来像に掲げ、文化によるまちづくりを進めています。2007年より「遠野遺産認定制度」を条例化するなど、古きよきものを継承し、大切に活用することに関して日本を牽引する地域です。 そんな遠野で、世代を超えて市民に親しまれ、街を訪れる人を迎え入れてきた遠野駅が、「構造的に安全ではない」「保存には大変なお金がかかる」という理由で、2020年に解体して再開発されようとしています。
でも、本当に安全ではなく、保存・活用は文化的価値に見合わないほどに非経済的なのでしょうか?
「その土地らしさ」は模倣でつくれるのか
遠野駅は、もうすぐ70歳。
戦後復興の真っただ中、資材不足に直面しながらも欧州の建築様式を思わせる「コンクリートブロック」による外装や「瓦葺き」の屋根を採用し、かつて城下町だった遠野の街並みにふさわしい外観を目指してつくられました。当時の国鉄職員の創意工夫の結晶であり、復興の願いがこめられたシンボルは、奇跡的に当時の姿のままに、遠野市民に受け継がれてきました。
現在において「コンクリートブロック造瓦葺き」の駅舎は国内で唯一とみられ、国の登録有形文化財かそれ以上の価値があると専門家に評価されています。
観光客、特にさまざまな土地を訪れた旅慣れた人たちにとっては、「その土地らしさ」こそが訪れる価値となります。市民にとっても「その土地らしさ」の集積が、まちに対する誇りや愛着につながります。
遠野駅舎を訪れた観光客の多くが、改札を潜り抜けて、そこから見える街並みにカメラを向けることは残念ながらほとんどありません。よく観察していれば、彼らが振り向いて駅舎の写真を撮っていることに気づくでしょう。それは、初めて訪れる人にとっても、遠野にやってきたことの象徴として、遠野駅舎が認識されていることに他なりません。これが観光客からみた「その土地らしさ」であり、訪れる価値です。
市民と観光客にとってシンボルとなりうる固有の価値を、新築でつくるのは困難です。 現駅舎に似せて新築した駅舎は、次世代に継げるシンボルになり得るでしょうか? 自分が京都にいって、古い建物に似せた新築の建物を見て感動するかどうか、想像すればすぐに分かります。
人の眼はものすごくシビアで、騙せないんです。
遠野駅を解体して作り変えてしまう事は、遠野の重要な観光資源を壊し、経済的・文化的な価値を手放してしまうことになるのではないでしょうか。
遠野駅100年プロジェクト、はじめます。
わたしたちは、本気で、古いモノや文化を、現代的に手を加えながら受け継ぎ、さらに次の世代に「遠野らしい風景」をつないでいきたい、と考えています。遠野を本当に魅力的で、次の世代に誇れるまちにしていくために、JRや遠野市の方々と協力していきたいと思っています。
新しい観光の受け皿や活動の場を、遠野の玄関口につくり経済的にも成功していこうとするのならば、文化財として価値があり、その土地らしさを獲得している現在の遠野駅舎を活かさない手はないと考えます。
わたしたちは、遠野駅が100周年を迎え、そしてその次の100年へ財産として手渡していけるように、遠野を愛する方々や、多分野の専門家の方々と対話を重ねてきました。
現在の駅舎を活かしてプロジェクトを実現すべき論拠を、つぎに提言します。
遠野駅舎は、じつは文化財としての価値が高い
遠野の一番の強みである、文化財を含む古い建物や文化を活かす環境づくり。
その玄関口としての駅舎が、ただの市民の思い出の場所ではなく、思っていた以上に文化財としての価値が高いことが分かってきました。遠野駅舎の歴史的・文化的価値を見過ごして、解体ないし一部部材をつかって立て直しを急いでしまうことは、取り返しがつかない財産の放棄になります。
新たに分かった文化的価値
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岩手県で初めてのコンクリート造駅舎。
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遠野駅は、旧城下町の中心軸である中央通りの正面に位置し、約70年に渡って町の景観の中心的な役割を担ってきた。
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外観を特徴づけるL字型のブロックは、当時国を挙げて取り組まれていた不燃化を実現しながら、旧城下町にふさわしい意匠として採用された。建築技術史的あるいは鉄道技術史的な観点からも稀少性が高い。
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ブロックや当初の瓦(現在は葺き替えられている) は遠野でつくられた可能性が高く、遠野の職人が施工した。地域の固有性が強く求められる今日、「遠野産の駅舎」には大変な価値がある。
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複数の専門家に国の登録有形文化財、あるはそれ以上に値する優れた歴史遺産であると評価されている。
構造的には今のままでも安全な可能性が高い。
最新の診断法で調査を!
遠野駅は、本当に壊さなければいけないのでしょうか。
わたしたちは、自主的に取材を行い、研究者に考察をお願いしました。その結果、遠野駅舎は、今のままでも安全で、構造の補強すらほとんど必要ない可能性が高いことが、新たに分かりました。 最終的な判断は、最新の診断法による調査が必要ですが、 多額の税金を投入して、歴史的な駅舎を解体し新築をする必要はなさそうです。
これはすべての人にとって、朗報ではないでしょうか。
新たに分かった構造についての考察
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遠野駅に構造的な問題があるとした耐震診断は、その方法自体が間違っている可能性が高い。
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遠野駅の特徴であるL型コンクリートブロックは、耐震要素として鉄筋コンクリートよりも優れていることが実験で明らかになっている。
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遠野駅舎は、耐震改修促進法で定める地表面加速度(400ガル)以上の力に、直近でも2度(宮城県沖地震の434.3ガル、東日本大震災の469.1ガル)被災しているが、大きな損傷がなかった。これは「既に」耐震性が高いことを証明している。
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最終的な判断の前に、微動診断などの短期間・低コストで確度の高い最新の診断を。
新たな構造的な見解と文化財としての考察を、JRと遠野市、遠野市民や多くの遠野ファンに知っていただき、遠野駅舎の解体を前提としたプランを見直したい。
今ある良さを活かして新しい価値をつくる「古くて新しいものが光り輝く」遠野市の未来の景色をつくるために、ほんとうに必要な事を対話し、実現していきたい。
遠野駅舎が、いまのままで構造的に問題なく、文化財としての価値があるのであれば、これを活かさない手はありません。
安全であることが実証されれば、駅舎はそのまま駅舎で使うことが理想だと思います。
もし何かの事情で難しければ、駅舎の平屋部分を解体して新駅舎を建てて、新旧を併存させる選択肢もあるかもしれません。それを二階建てにして事業に必要な床面積を確保することもできるでしょう。その場合は現駅舎を別の用途で使用することも考えられます。きちんとリノベーションすれば、歴史を感じさせる仕上げや構造体を活かした空間的価値によって来訪者に感動を、市民に愛着を感じてもらい続けられる場所になるでしょう。
駅舎や駅前エリアに新たな投資をして、宿泊やレストラン、カフェ、浴場といった観光の受け皿を整備するのであれば、この観光資源を残して共存する案をつくるべきです。すでにある観光資源をつぶして、別の観光の受け皿を作るのは避けたいです。
新築よりも低いコスト負担で保存・活用できることが分かってきた今、再開発で遠野駅を壊してよいのでしょうか。そのことを、皆様と対話していきたいと考えています。
わたしたちは、遠野駅の所有者であるJR東日本が遠野駅舎の解体を撤回し、遠野市もまた、JR東日本ともに「駅舎を保存・活用する方針」に転じることを求め、その実現に向けて協力していきたいと考えています。
遠野内外の方々の駅舎の保存を望む声に応援を受け、理想論ではなく、経済性や安全性、土地の文脈に根ざした現実的なプランを専門家と検討して提言します。
遠野ふうけい会議
共同代表
松田 成人
株式会社north production 代表
安宅 研太郎
建築家・株式会社ノース取締役
松井 真平
編集者・ライター
メンバー
菊池 洋二 有限会社ツクバ精密 専務取締役
菊池礼子 on-cafe(オンカフェ)
高橋 真紀 遠野市民
新田 充 遠野市民
松田 由紀 遠野市民
村上 悠 むらかみ農園
Park Jonghye コリアンバル カジャナ
菊池 惇 遠野市民
松田 学 遠野市民
菊池 泰二 音楽家・遠野市民
菅田 幹郎 遠野市民
賛同してくださる方々
210名(2022年8月2日現在)
遠野駅をめぐる、これまでの動き
(かけあし版)
1912(大正元)年9月
岩手県稗貫郡花巻町(後の花巻市)− 上閉伊郡遠野町(後の遠野市)
−同郡上郷村沓掛(後の遠野市)間 64.8km の鉄道敷設工事開始(岩手軽便鉄道)
1914(大正3)年
4月18日 岩手軽便鉄道により貨物駅として開業
5月15 or 19日 旅客営業開始
1950(昭和25)年
10月10日 国鉄釜石線全通
鉄筋コンクリートブロック造2階建、瓦葺の現駅舎竣工
1987(昭和62)年
4月1日 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる
1995(平成7)年
7月7日 駅舎2階に JR 東日本による宿泊施設「フォルクローロ遠野」開業
2002(平成14)年
東北の駅百選に選定される
2009(平成21)年
中心市街地における賑わい創出を図る「遠野市中心市街地活性化基本計画」策定
「永遠の日本のふるさと遠野」を目指す駅前に、駅舎の外観との景観を意識したまちおこしセンター「あすもあ遠野」、町家と蔵を基調とした「観光交流センター」の整備
2012(平成 24)年
11 月 10 日 遠野駅旅行センター廃止
2014(平成26)年
4月 SL銀河の運行
9月 JR東日本、遠野市に駅舎の規模を縮小した建て替えを提案
2015(平成27)年
1月15日 新聞報道により、JR東日本盛岡支社が
「老朽化による遠野駅舎の縮小建て替えの方針」を示す
2月9日 以降、市民関係団体代表等と市長・市職員による
検討会/ワークショップとして「遠野駅舎の未来を考える会」が随時開催される
3月14日 「フォルクローロ遠野」営業終了
2017(平成 29)年
6月5日 遠野市がJR東日本盛岡支社へ協力体制構築について申入書提出
2018(平成 30)年
6月1日 平成30年度第1回遠野駅舎の未来を考える会
6月2日 岩手日報「遠野駅舎、新築案に合意 市建て替え方針で市民団体」
7月24日 遠野駅舎保存へむけて市民有志署名活動開始
2019(平成31)年
2月18日 遠野市中心市街地活性化対策プロジェクトチーム設置
2月25日 平成 30 年度第 2 回遠野駅舎の未来を考える会
2月26日 岩手日報「市、改めて新設主張 市民団体と平行線」
3月27日 遠野駅舎保存へむけて 10,000 人が署名
5月14日 令和元年第 1 回度遠野市中心市街地活性化協議会総会
5月15日 岩手日報「JR 遠野駅舎の保存断念 市、解体後の構想案提示」
5月17日 令和元年度第 1 回遠野駅舎の未来を考える会
5月18日 岩手日報「JR 遠野駅舎解体反論出ず 市民団体と市会合」
10月16日 「遠野ふうけい会議」発足
遠野駅舎の解体を前提としたプランを見直す提言をもとに
JR東日本、遠野市、市民と遠野ファンに対してひろく対話を呼びかける